「にがり絹ごし豆腐に明日を見た」 その二

 さて先月号の続きです。

 埼玉屋にとっては新しい試みとなる「にがり100%絹ごし豆腐」に挑む記念すべき朝を迎えました。店のシャッタ−を開いて、まずは早朝の新鮮な空気で深呼吸。前掛けの紐をぐっと締めて気合を入れなおしました。準備は万端です。いつもと同じように絞り出した豆乳が、にがり凝固にとっての適温に下がるまで待っている間は、じっと精神集中。そして、いよいよ勝負の時がやってきました。にがりを豆乳に加えて櫂で攪拌し、その櫂を抜き出すまでの間は、ほんの数秒の出来事でしたが、不思議と緊張感は無く、冒険に出かける少年のわくわく感の様な気持ちで一杯でした。さらに待つ事40分少々、豆腐の箱型の表面に手を当ててみたところ、「むむっ、手応え有り!」上手く出来上がっているようでした。水の張った水槽に箱型をくぐらせ、箱型を浮かせるように豆腐を抜き出してみました。出来上がったばかりの豆腐はきめ細やかで、かつ艶やかに仕上がっていました。さらに口にしてみたところ.....な、なんて味が強いんだ!特に甘味が素晴らしい!自分の造った豆腐とは思えないくらいの驚きでした。この時までに研究のためス−パ−で買い求め、食べ比べてきた他社のにがり絹ごし豆腐のどれと比べても引けを取らない、いや、それ以上の出来に満足しました。正直言って「なんだこんな簡単に造れるのか?」と拍子抜けでした。が、しかし、それは浅はかでした。その時の私は、次の日から奈落の底に付き落とされる自分を知るよしも無かったのです。

 豆腐屋業界では難しいとされている、絹ごし豆腐にがり100%凝固技術。たしかに初回は大成功でしたが、実はそれはビキナ−ズラックにすぎなかったようです。同じように造ったつもりでも、翌日からは失敗続きでした。むらが出来たり、上手く固まらなかったり、攪拌のしすぎで、きめが荒くなくなりボソボソの食感になってしまう等々、散々たる結果が続きました。とはいうものの、そのうち、なんとか上手くできる回数が増えてきましたので、店で販売しながらも、さらに自己研鑽にのめり込んでいきました。そんな中でも、やはり、数回に一回は失敗してしまう時がありまして、失敗作を前にして「なんで上手くいかないのだろう?」と考え込んでしまうわけです。さらに考えれば考えるほど深みにはまってしまうようになり、挙げ句の果てには、安定して造れないなら、このにがり絹ごし豆腐は諦めてしまおうか?とも思うようになってしまいました。
 しかし、ここで諦めてしまっては、豆腐と蕎麦の違いはあるものの、若き頃の自分を「職人」として鍛え上げて戴いた故並木藪蕎麦二代目主人に顔向けできないと思い、引き続き挑戦し続けることにしました。私の座右の銘の一つである「継続こそが力」という言葉を信じて、この技術を自分の物になるまで頑張り続けて来た結果、今では安定してお客様ににがり100%の絹ごし豆腐を楽しんでいただけるようになりました。
 とはいうものの、今でも、より良いにがり絹ごし豆腐をお客様に楽しんでいただくために勉強は続けております。このところ、埼玉県所沢市の「かむろ豆腐」の山下健さんとおつきあいさせて頂いておりますが、この山下さんは無消泡剤豆乳と海水にがりという、技術的に最も難しい組み合わせでの豆腐造りをなさっておられ、私が「にがり凝固世界最高峰職人」と思っている方です。山下さんとのお付き合いの中で、にがり凝固の奥の深さを再認識し、にがり凝固へのさらなる探求心をくすぐられているところです。

 これまでの経験から得た、絹ごし豆腐にがり100%凝固技術について、私の感じたことを、少しお話し致します。まず大切なのは、安定した質の良い豆乳を造り上げる事なのですが、四季を通じての大豆の変化(劣化)、漬水の時間等々、様々な条件の違いがでてくるので、どうしても、出来る豆乳に微妙な誤差が生じます。にがりの凝固反応はとても繊細なので、このような小さな誤差であっても、時としてそれを許してくれないわけです。それに対応することは、職人がその豆乳の性質を見極めて、寄せ作業の際に瞬時の判断で微調整する以外は解決法はないと思います。もちろんそれが出来るようになるためには十分な経験を積むという事が大切です。百の失敗で千、万の美味しい豆腐が出来上がるのであれば、その失敗という経験は私達のような豆腐職人にとっては逆に財産の一つとなるわけです。あと、もう一つ大切なのは、やはり真剣に豆腐に立ち向かうという姿勢と気合いを職人として維持するといったところでしょうか。

 当店では、以前から造っていたGDL+硫酸カルシウム凝固の絹ごし豆腐とこのにがり絹ごし豆腐を区別するためもあって、このにがり絹ごし豆腐を「塩田豆腐」と呼んでいます。「塩田」とは「塩」を作るときの副産物でもある「にがり」のイメージから名付けていまして、試行錯誤を繰り返し、このにがり絹ごし豆腐に挑戦していた当時から、店内ではこの呼び名で呼んでいました。(当店オリジナルの呼び方ですので、他店では「塩田豆腐ください!」と言っても通じませんのでご注意を!)
 そして、最近、名前に関して面白いことを考えています。蕎麦屋に「藪蕎麦」や「更級蕎麦」が有るのなら豆腐屋にも何かないだろうか?ということで、埼玉屋の豆腐達を「気合豆腐」と名付けて、お客様に親しんで頂こうと思っております。例えば「塩田豆腐」ならば「気合豆腐 塩田」という風に呼ぶわけです。もちろんこのような名前を付けたからといって、特別なブランドとして高く売ろうという魂胆ではありません。豆腐の値段は、これまで通り、据え置きにしています。なんてたって私のポリシ−は「毎日の食卓に上がる美味しい豆腐造り」なのですから。


葛飾 気合豆腐
埼玉屋本店 
店主 新井 弘幸
浅草「並木藪蕎麦」で五年間修行後、祖父の遺言で在る意志を引き継ぎ家業(豆腐屋)に入り現在に至る。
光琳社 「食の科学」 2002年9月号に掲載分
[1] esseiメニュ−へ
[*][TOPへ]