あるじの今週のひと言!
2004年2月分
2月29日
「カテゴリ」
私の属する所は「町の豆腐屋」というカテゴリの中に有ります。それはとても小さく狭いカテゴリなのです。私は今でこそ多くの皆様に変人とみなされてそう呼ばれておりますが、さかのぼる事5年ほど以前は、ごく一般的な「普通の人」のようでした。その頃はそのカテゴリが狭いゆえ、物を見る範囲も狭まっていたのでしょう。あたり前の事をあたり前としか見ていられる事ができなかったのです。これでは1+1=2、としか答える事が出来ません。例えて具体的に言うと、狭い歩道を貴方が歩いているとします。普通に歩いていると対面から歩いてくる人とは肩越しにすれ違いますよね。ですが両腕を左右に大きく広げながら歩いて行くと対面から歩いてくる人はそれをよけようと歩道から出ます。もしくは気味悪がって逃げてしまう人もいるかも知れません。ほら、たった両腕を広げて歩くだけでこのようにいつもと違った風景を見る事が出来きるのです。(あくまでも例えですので実際に行うと人様の迷惑に成ります。)これを貴方の仕事や人生に置き換えて試してみて下さい。きっと貴方の身を置いているカテゴリの中に、今まで見えなかったものが見えてくると思いますよ。
2月22日
「気合豆腐を胸に」
これから私が綴る事は概ね業界の人に向け、特に個人の豆腐店さんにお伝えしたいと思っております。
貴方が一生懸命心を込めて造っている豆腐も「豆腐」と呼ばれ、ライン生産の中から生まれてくる冷たい豆腐、特に格安のお値段で売られている豆腐も同様に「豆腐」と呼ばれております。極一部のお客様にですが、「気合豆腐」と名乗る8年ほど以前に有ったお話しをします。
お客様「ス−パ−では100円以下で、もっと安い時は30円や50円で豆腐が売られている時もあるのよ。同じお豆腐なのになんで豆腐屋さんで買うと高いのかしら?」
埼玉屋「当店は手造りのお豆腐ですから・・・、機械で作る豆腐とは違うのです。」
この時、はっきりと「味が違うから。」とは言い切れませんでした。当時の仕事は確かに手造りでしたが、今現在の仕事から比べますと、心が、気持ちがこもっているとは今から感ずる所、劣っていたなと思います。現在はタマホマレに出会い、豆腐にははっきりと味が有る、甘みが有る。それをお客様にお伝えする事が自分の仕事だと考えております。こう考えて行きますと必然と豆腐造りにも「気持ち」が「心」が入り「気合」と成る訳です。現在では流石にこう言われるお客様は皆無になりましたが。
このように造り手の「気持ち」が「心」が込められている豆腐を、後者のいう豆腐と同じようにただ単に「豆腐」とお客様にお伝えするのは、少々違うのではないかと思います。そこで魂の商標、いや、魂の称号とでも言いましょうか、「気合豆腐」なのです。貴方(概ね個人の豆腐店さん)が造るお豆腐の種類の中で、1つの豆腐でも構いません。この魂の称号「気合豆腐」というブランドを付けてみたいとは思いませんか?もし、私と同じように気合を胸に、そしてそれを込めてお豆腐を造っているのであれば。
☆ご興味や関心が有る方は私までお問い合わせ下さい。(一応ですが、ブランド料を頂くつもりは一切有りません。但し、貴方の気合を私が感じ取られた方に限ります。)
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2月15日
「気合豆腐は魂の商標」
1月下旬に「商標登録願い」を特許庁長官殿に提出致しました。無事登録されますと、納豆、豆腐・豆乳及びそれらを加工した製品を「気合」といういわゆるひとつのオリジナルスピリッツブランドとして埼玉屋が独自に使用できるように成ります。当店は、父ちゃん、母ちゃん、婆ちゃんで営む3ちゃん個人店ですので、こういうものにも余りお金を掛ける事ができません。したがって業者さんには頼まずに勉強して自分で申請書を提出しました。登録後、10年間使用でき、9万円弱の費用が掛かります。1年約9千円といった低予算で、「気合」ブランドを豆腐豆乳製品に独占的に使えるようになるという訳です。
そこで以前から頭の中で描いていた「気合豆腐(アクティブ)プロジェクト」を発進させる準備に取り掛かります。このプロジェクトは「気合豆腐」というスピリッツブランドを、気合を入れて頑張って美味しい豆腐を作り上げている街店の豆腐屋さんに使用してもらおうというものです。今現在、池袋大桃豆腐さんをプロジェクトスタッフに招き入れ私と共に活動する約束を頂いております。そして既に浦和の岡とうふ店さんもご参加の意思を伝えられておりますので、上々の発進具合と言った所でしょうか。さてこの魂の商標、「気合豆腐」について感ずるところを来週の更新分として皆様にこの場でお伝えする事に致します。
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2月8日
「豆腐に生きる」
今では新規に豆腐屋を開業しようなどと言う人はめったやたらにいないとは思います。ひと昔前以前には、豆腐屋を始めたいという人がいまして大概、2、3ヶ月技術的な要素などを街店の豆腐屋さんで習い、後、開業していました。なんと安易に考えられていたのか・・・。しかしそれで商売になってしまっていたのだから、それは使用が無い事なのかも知れません。豆腐を作ってはいるものの豆腐に生きられなくなってしまった原因のひとつだと私は思います。
ものを作る職人と成すには最低でも三年は嵐に耐えるような厳しい場所での修行が必要ではないかと感じているのです。それは技術うんぬんを習うというよりも、ものを作る姿勢や心構え、そしてそれが厳しいものだと知る事、その辺りを身を持ち挺して行く必要が有るのではと。
豆腐を作る事は簡単な事では有りますが、それはとても難しい事でも有ります。私はその中に身を置き、必死にもがきながらでもより美味しい豆腐と成す事が出来るよう、人生を豆腐に生きて行きたい、そう考えます。
PS、こんな事言ってるから商売下手だってよく言われるんですよ。(笑)でも目指すのは金持ちじゃなく「心持ち」なのです〜
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2月1日
「寄せ豆腐」
よく、豆腐の角に頭をぶつけてなんとやら〜、と言われますが、埼玉屋の寄せ豆腐には角がないのでどうしようかと思いました。よくよく熟考の末、「お前なんか頭の上に豆腐を乗せちまえ〜!」とでも言おうかしら・・・、ちょっとつまらないですね。早くもネタに困っている私です。しょうがないので明日は寄せ豆腐を頭の上に乗せ店頭に立とうと思います。ちなみに「豆腐を科学する会」主催者の永井博士がおっしゃったお言葉の中に、こういう一説が有ります。「一丁の豆腐を目の前に出された時、皆様はどこから食べられるのでしょうか?私は左斜め下中央やや左側から鋭角に上40度を目掛けて豆腐をすくい上げ即座に隣にいる人の口にそれを運びます。」とおっしゃっておりました。奥が深いお言葉ですね。なんでもこの博士、豆腐がお嫌いだとか。
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