Carlosの喰いしごき調査委員会
がまだせ島原編
第7話「ちゃんぽんとチャンポンをちゃんぽんにしてしまった話」の巻

1.長崎名物ちゃんぽん・皿うどん
 福岡県に住むようになってからは、島原半島へは有明フェリーか高速道路(長崎自動車道諫早IC経由)で直接行くことがほとんどとなり、それまでの大阪や東京在住の時のように「JRか飛行機で長崎県に入り、まず長崎市内に行ってから島原へ」ということが無くなってしまった。長崎市内に行かないようになって困るのは、長崎名物ちゃんぽん・皿うどんを食べる機会を失してしまうことだ。ちゃんぽん・皿うどんなら別に長崎市内ではなくとも、島原半島をはじめ県内どこででも食べることができるが、やはり、四海楼(注1)や江山楼(注2)をはじめとした名店が立ち並ぶ長崎市内は他では味わえない旨さを味わえると思う。

2.リベンジを誓う
 とある集まり(注3)で、この長崎のちゃんぽん・皿うどんの老舗「四海楼」でお料理を頂きながら、ちゃんぽん・皿うどんの歴史や長崎の文化についての講演を聞くという勉強会に参加させていただける機会があった。
 と、と、と、ころが不覚にも、その前日から風邪を引いてしまい、その影響か胃腸の調子が悪く、ひどい下痢になってしまっていた。当日の朝になっても体調は戻らなかったが、意(胃)を決して、胃腸薬数錠を片手に握りしめ、長崎へと向かった。四海楼では大変興味深いお話を聞かせてもらい、さらにちゃんぽん・皿うどんのみならず、美味しい中華料理の数々も出していただいた。が、絶不調のこの私、中華銘菜を一口ずつの味見程度しか口に出来ず、全く失意の内に長崎を後にしなければならなかった。有名な長崎の夜景を振り返り見て、リベンジを誓いながら復路のバスに乗り込んだのであった。

3.ちゃんぽんという二つ言葉
 さて、その勉強会の質疑応答のなかで、「ビールと焼酎をちゃんぽんにして飲んだ」という様に使う場合の「混ぜ合わせる」という意味の言葉「ちゃんぽん」と長崎名物麺料理を意味する「ちゃんぽん」という言葉の関係について話題になった。残念ながら、その場ではこの二つの言葉の関係に関して明解な答えは得られないままであった。今回、体調不良のためにちゃんぽんを心ゆくまで食べられなかったことも心残りであったが、このちゃんぽんという二つの言葉の関係について分からず仕舞いだったことも心残りとなった。

4.元々は「支那饂飩」
 以下は四海楼で頂いた資料による。
 明治32年に長崎で中華料理屋兼旅館として開業された四海楼の初代陳平順氏が、当時、大変苦労していた中国からの留学生のために、安くて美味しくて栄養のあるものとして「支那饂飩」を考案した。これが、ちゃんぽんのルーツなのだそうだ。それでは、考案された当時は「支那饂飩」と呼ばれていたこの麺料理がどういう経緯で「ちゃんぽん」と呼ばれるようになったのであろうか?  その語源については諸説有るものの、この麺料理を考案した陳平順氏の故郷の言葉である福建語の「ご飯を食べる」という意味の「吃飯(シャポン又はセッポン)」がその語源という説が有力であるそうだ。当時の留学生や華僑の間で交わされた「ご飯を食べたかい?」という挨拶の言葉を聞いた長崎人が、その中の「吃飯」というこの単語の音から、彼らの食べている麺料理を連想し、その麺料理の名前を「シャポン又はセッポン」→「ちゃんぽん」として呼ぶようになり、広まっていったのではないかということである。
 この麺料理としての「ちゃんぽん」という言葉は明治後期(注4)には既に長崎で普及され、使われていたとの記録もある。

4.麺料理としての言葉「ちゃんぽん」が認知されたのは戦後?
 それでは、このちゃんぽんという言葉は、各時代でどの様に使われていたのだろうか? 図書館で、古い辞書から新しいものまで徹底的(注5)に調べてみた。
 この結果によると1番古い「大言海」(昭和7年)、2番目に古い「辞苑」(昭和10年)といった戦前の辞書には、なんと麺料理としての「ちゃんぽん」の記載は見られなかった。少し年次は飛ぶが(注6)、戦後発行の岩波国語辞典(昭和38年)で麺料理としての言葉の意味がやっと出てくる。
 四海楼の資料とこの辞書調査の結果、麺料理の「ちゃんぽん」という単語は明治後期から戦前にかけて長崎を中心に使われてはいたが、全国区の単語にはなって無かったのではないかと推察された。

5.チャンは鉦、ポンは鼓
 戦前版の両辞書によると「ちゃんぽん」の意味は「彼ト此ト交互ニ混ズルコト。」、「互ニ打込ムコト。(鉦ト鼓ナドヲ)」、「彼と此と相混同すること。互いに入れちがふこと。」、「双方相均しいこと。」とあり、戦前では「二つの物を混ぜること」というニュアンスで使われていたようである。
 三省堂の広辞林第六版(昭和58年)の欄外には興味深い記述がある。「@(麺料理の意)とA(混ぜ合わせる意)は関係なく、祭りばやしの鉦(かね)の音チャンと能のはやしの鼓の音ポンを重ねて、異質なもの混合の意だとする説もある。」
 また今回調べた最古の辞書である大言海には「互ニ打込ムコト。(鉦ト鼓ナドヲ)」との記述があり、四海楼の資料にもちゃんぽんの語源の諸説の一つとして「中国の鉦のチャンと日本の鼓のポンを合わせて「チャンポン」と言った。異質の音が混合した造語」との説もあるとのことから、「チャンポン」は元々、鉦の音を示すチャンと鼓の音を表すポンから構成された単語で、チャンとポンは二種類の異なる物を表すようである。
 「二つの異なる物が混ざり合う」という意味では、日本の地で、日本の素材で中国(当時は清)の麺料理をつくるという二つの異なる食文化が混ざり合った料理である「支那饂飩」が「ちゃんぽん」と呼ばれるようになったことにいくらか影響しているのではないかとも思われる。

5.二種類のから他種類を混ぜる意味への変化
 しかし、「岩波国語辞典」(昭和38年)以降、戦後の各辞書を見てみると、二つの物を混ぜ合わせるというよりも、多種の物を混ぜ合わせるという意味としての説明がみられるようになる。すなわち、戦前には「(彼と此の)二つの物を混ぜる」という意味で「ちゃんぽん」が使われていたが、戦後になって「雑多な物を混ぜ合わせる」という意味に変化してきているのである。
 元々、二種類の物が混ざったものと言う意味であったこの単語が、戦後になって二種類とは限らず、多種の物を混ぜ合わせることを意味するように変化していったのは何故であろう。
 戦前には辞書にも載っていなかった麺料理としての単語「ちゃんぽん」が、戦後になって、食生活の多様化などから、辞書にも現れるぐらい全国区で市民権を得たことが影響しているのではないかと考えられる。もともと二種類の物を混ぜる意であった「ちゃんぽん」が、様々な食材を混ぜ合わせて作る麺料理「ちゃんぽん」と同音であるため、その様々な具材の印象から「二種類の物を混ぜる」よりも「他種類の物を混ぜ合わせる」という意にへと変化して受け入れられてきたのではないだろうか。

6.二つの「ちゃんぽん」の変遷と相互関係
 以上の推理・考察の結果を、まとめてみると以下のようになる。

@ まず、明治時代以前(江戸時代頃か?)に鉦の音「チャン」と鼓の音「ポン」からなる「チャンポン」と言う言葉が「異なる二種の物を混ぜ合わせる」と言う意味で確立する。

A 時は流れて、明治時代、長崎において陳平順氏が麺料理「支那饂飩」を考案する。その後、平順氏の故郷福建省の挨拶語である「吃飯(シャッポン)」を語源として「ちゃんぽん」という料理名が確立する。
 この際、「二種の物を混ぜ合わせる」と意味で、当時、既に使われていた単語「ちゃんぽん」が、「日清両国文化という二種の異なる物が混ざり合う」という意味でその料理名確立に影響したと想像される。

B さらに時は流れて、戦後、食生活の多様化等の影響から長崎の麺料理「ちゃんぽん」が全国区で市民権を得、単語として辞書に掲載されるほどになる。

C この頃ころから「異なる二種の物を混ぜ合わせる」と言う意味の単語「ちゃんぽん」は、「多種の物を混ぜ合わせる」という意味に変化していく。これにはこの時期すでに日本全国で知られるようになっていた麺料理「ちゃんぽん」がその具材が雑多に混ざり合っているということが影響していると推理される。

 言語学に関しては全くの素人の私が考えたものであるが、古い辞書の記述などから以上のように推理した。この「ちゃんぽん」という同音異義の二単語は互いに影響し合い、その意味が変化しながら、明治から昭和そして平成の今日に至ったのではないだろうか。

7.チャンプルについては今後の宿題
 さて、勉強会の際にもう一つ興味深い言葉「チャンプル」と「ちゃんぽん」の関係についての話題もあった。「チャンプル」、なるほどその音は「チャンポン」と酷似している言葉だ。ニガウリを炒めた沖縄料理「ゴーヤチャンプル」で、今や全国的に有名なこの言葉、炒め物を表す言葉だが、そもそもは「混ぜる」(=混ぜて炒める?)と言う意味だとか。実は沖縄だけではなく、もっと南のマレーシアやインドネシアあたりでも同じ言葉「チャンプル」が「混ぜ合わせる」と言う意味で使われるのも面白い事実だ。例えば「ナシ・チャンプル」といえばおかずをご飯(ナシ)に混ぜて食べるお料理を示す。この「チャンプル」と「チャンポン」の関係も、無視できない...。
 あー!一つのことを調べ出すと、後から後から、調べてみたい事がイモヅル式にどんどん出てきてしまう。チャンプルについては今後の宿題としよう。

8.リベンジ達成
皿うどん(江山楼)皿うどん(四海楼)ちゃんぽん(四海楼)取り分けてから写真を撮り忘れたことに気が付いた。ちゃんぽん(江山楼)
 さて、ちゃんぽんリベンジだが、その長崎での勉強会のちょうど一ヶ月後に遂行することができた。
 昼前に長崎市についた我々は四海楼にまず向かい、もちろん、ちゃんぽんと皿うどんを食べた。皿うどんは、揚げた細麺にあんかけをしてあるタイプの物ではなく、ちゃんぽん麺(太麺)と様々な具材を炒めあわせたものである。私は「揚げ麺あんかけタイプ」の皿うどんより、断然この「太麺炒めあわせタイプ」の皿うどんの方が好きだ。これまた四海楼の資料によると、そもそも「皿うどん」というのはこの「太麺炒めあわせタイプ」のことを指し、「揚げ麺あんかけタイプ」のものは「炒麺(チャーメン)」という別の料理なのだそうだ。それが、何時の頃からか混同されてしまって、皿うどんには二種類あるように思われるようになってしまているとのことだ(注7)。
 四海楼の麺はちゃんぽん麺というよりかは、むしろうどんに近いようなしっかりした麺であることが特徴的で、これがなんとも麺好きには嬉しく美味しい。新装した店内から港町長崎の風景を見ながら食べるちゃんぽん・皿うどんはまた格別である。
 昼食後は長崎をブラブラし、夕食には江山楼に向かった。もちろんここでも、ちゃんぽんと皿うどんを食べた。東京にいた頃、職場に近くに「長崎ちゃんぽん」の専門店があった。昼休みには行列が出来る店だったが、そのために一度に大量に調理しなければならないためか(それとも、ただ単に下手くそなだけか)、野菜などの具材がクタクタになってしまいベチャッとした食感は決して誉められる物ではなかった。それに対して、江山楼のちゃんぽんの野菜は、さすがは本場、シャキッリと炒め上がっており歯触りも良く大変美味しい。バラエティーに富んだ具材から出る旨味がスープに溶け込んで、その味は...思い出すと思わず笑みがこぼれる。
 リベンジはかくの如く達成した。長崎市内にはこの二軒の様な有名店のほかにも名店が多いと聞く。これも今後の宿題か。 


注1 四海楼: 長崎市松が枝町にある、ちゃんぽん・皿うどんの老舗。そのHPにはちゃんぽん・皿うどんの歴史も詳しく載っている。 
注2 江山楼: 長崎市新地町すなわち中華街にあるちゃんぽん・皿うどんの名店。HP にはさだまさし氏が作ったイメージソングのことも載っている。注3 とある集まり: 福岡県を中心とした九州各県の麺好きが集まってできた研究会「アジア麺文化研究会」のこと。「宮崎山里、蕎麦仙人と百済伝説 編」の第1話にも説明有り。
注4 明治後期: これまた四海楼で頂いた資料によると、明治40年発行の「長崎県紀要」によると中国留学生の大好物としてちゃんぽんが紹介されていて、当時、すでに市内に十数軒のちゃんぽん屋があったそうだ。
注5 徹底的: 実はそんなに徹底的でも無い。某図書館(室)にあった辞書を調べただけなので、昭和7年〜現在までしか調べていない。それ以前は分からない。
注6 少し年次は飛ぶが: 実は少しどころか、かなり飛んでしまう。昭和10年から昭和38年まで28年も飛んでしまっている。その間はどうなっていたのだろうか???
注7 二種類の皿うどん: それどころか、長崎から遠くになるに従い(例えば関東)、「太麺炒めあわせタイプ」の皿うどんがメニューになく「揚げ麺あんかけタイプ」が唯一無二の皿うどんと思われがちになってしまっている。実際に東京にいた頃は太麺の皿うどんを食べたくなって、探すのに苦労した経験がある。あったとしても太麺にあんかけという折衷タイプの物だったりして釈然としない物を感じた覚えがある。


※上記のリンク掲載について、御不備等ございましたらこちらまで御連絡よろしくお願い致します。速やかに対処致します。 saitamaya.net webmaster  Hiroyuki Arai