Carlosの喰いしごき調査委員会
がまだせ島原編
第6話「六兵衛は嫌われ者か?救世主か?」の巻 
六兵衛(島原市「六兵衛」さんで)

1.六兵衛は嫌われ者か?
 島原市内で昼食を済ませ、昼過ぎに親戚宅にお邪魔したときの話である。その親戚に「食事はどうしたの?」ときかれたので「島原市内で六兵衛を食べてきました」と答えた。すると、その親戚は、ちょっと顔をしかめて「えーっ、そんな物食べてきたの、胸焼けするとでしょう」と言った。
 また、別の機会に島原に訪れた時の話、父(島原に子供のころ住んでいた)と「お昼に何を食べようか?」となり、せっかくだから島原にしかないものと思い「六兵衛が食べたい」と言ったら、父に賛同を得られなかったことがあった。
 六兵衛どんは嫌われ者なのだろうか?

2.六兵衛は麺料理
六兵衛おろし(島原市「六兵衛」さんで) クリックされますと大きい画像が現れます。六兵衛の麺(島原市「六兵衛」さんで)  クリックしますと大きい画像が現れます。六兵衛(小浜町「六兵衛茶屋」さんで)
 そもそも六兵衛とは何か説明しておこう。
 六兵衛は島原独特の麺料理である。島原半島は同じ麺料理でも「そうめん」が全国的に有名である(本編、第1話参照)が、全国津々浦々にそうめん産地があるのに対して、この六兵衛は島原半島でしか見られない麺料理(注1)である。六兵衛はそうめんよりもむしろ島原半島を代表すべき麺料理ではないかと、私は思っている。
 その製法・材料は、日本の数ある麺料理の中でもかなり異質である。
 まず、製法である。日本の麺といえば、「そば・うどん」が代表的であるが、これらはどちらも伸ばした生地を細長く切って製麺にする、「切り麺」である。また、島原でも古くから作られている「そうめん」は生地を細長く伸ばして製麺する「伸ばし麺」である。六兵衛はこのどちらでもなく、こねた生地を穴の開いた装置に押しつけ、押し出して作る「押し出し麺」なのである。押し出し麺はアジア各地で見られるが(注2)、日本ではほとんど例がない。
 さらに材料についても特筆すべきものがある。六兵衛の材料は小麦粉でもそば粉でもなく、サツマイモ(地方名「トイモ」)を切り干しして製粉そしたものを使う。イモ類を麺の材料に使うことは日本では非常に珍しく、私の知る限りではサツマイモを原料とした麺料理はこの六兵衛だけである。
 では実際の作り方(注3)について説明しよう。サツマイモの粉を熱湯でこね、「六兵衛つき」または「六兵衛おろし」と呼ばれる道具(歯のないおろし金に穴が開いたような道具)に押しつけて、穴から細長く麺状に押し出す。この押し出された麺を蒸籠で蒸して出来上がりである。「つなぎ」として山芋や海草などすり込んで作ることもあるそうだ。
 できあがった六兵衛は黒褐色の麺で、煮干しダシを醤油で味を付けた汁にネギを浮かせたものをかけて食べる。

3.六兵衛は救世主か?
 それでは、この料理の名前となっている六兵衛とは誰か。
 六兵衛どんは江戸時代後期(注4)に島原半島、今の深江町あたりの名主をしていた人物であると伝えられている。寛政4(1792)年に雲仙普賢岳が噴火し(注5)、その影響で作物が不作となり 、元々痩せた土地でもあった同地域は深刻な食糧難に陥ていた。六兵衛どんは、稲・麦に比べ、痩せた土地でも栽培が出来るサツマイモを栽培し、その保存・利用の一つの方法として麺料理を考案したとのことである。この麺料理を発明者の名前をとって「六兵衛」と呼ぶのだそうだ。サツマイモという新規作物導入とその利用法開発により、当時の島原を食糧難からすくった六兵衛どんは、実は地元の救世主だったのだ。その功を讃えてか、讃えないでかは知らないが、今日では深江町(注6)のイメージキャラクターとして、町の要所要所にその像が建っている。

4.昔は短かった
 それでは、救世主六兵衛どんが考案した麺料理は、何故、私の親戚や父親からいい顔をされなかったのだろうか?「六兵衛」の専門店、島原市内のその名も「六兵衛」さんで聞いたところによると、やはり地元の年輩の人は六兵衛と聞くといい顔をしない人が多いそうだ。
 江戸時代ではなく最近の食糧難の頃、すなわち戦中・戦後の食糧難の頃にもやはり六兵衛はよく食べられていたそうだ。ただし、それは今、お店で食べるような美味しい六兵衛ではなく、ツナギも入れられないため、プツプツと短いもので、とても麺とはいえない物であったらしい。一本一本が短いので、ツルツルとズルズルとうどんの様に食べる事は出来ず、お茶漬けをかき込むように丼を持って啜り込んで食べたそうだ。さらに、サツマイモの品種や栽培技術も現在よりも劣っていた可能性があり、味も良くなかったのではないかとも考えられる。そんな時代の六兵衛を食べてきた人達には、あまり良い思い出ではないのだろう。

5.ブレイク寸前?
 「六兵衛を食べたい」と私に誘われて、あまりいい顔をしなかった我が父であるが、結局、一緒に食べることになった。前出のお店で頂いた現代の六兵衛は、ダシの効いたお汁に入っていて、ツルツルと喉越しが良い。かみしめるとほんのりサツマイモの甘さを感じる。素朴なその味には、うどんやそばにない美味しさがある。父にとっては昔食べた六兵衛のイメージとかなり違ったようである。「こういう六兵衛なら美味しく食べれるなぁ」と頷いていた。
 地域の救世主だった六兵衛どんは戦後の長い不遇の時代を経て、再度、島原名物としてブレイクする日が来るのも近いかも知れない。



注1 島原半島でしか見られない麺料理: 「聞き書 長崎の食事(農文協)」によると、実は同じ長崎県の対馬でも同じ「六兵衛」と呼ばれる麺料理があるそうだ。材料もサツマイモ、製法も押し出し麺方式で、すまし汁をかけて食べると言うところまでは全く島原半島の六兵衛と同じである。ただ一つ違うのは、島原半島の六兵衛は切り干ししたサツマイモの粉を使うのに対して、対馬のそれはサツマイモを発酵させてつくった「せん」と呼ばれるデンプンを使うことである。
......と、ここまで、この「注1」を書いていて、ちょっとした仮説を思いついた。「第6話のオマケ」として、別に報告する。
注2 押し出し麺はアジア各地で見られるが: 国立民族学博物館館長の石毛直道氏の御著書「文化麺類学ことはじめ(フーディアム・コミュニケーション社)」によると、朝鮮半島の冷麺(バレイショデンプン、ソバ他)、タイのカノムチン(米)、ブータンのプッタ(ソバ)、中国の春雨(リョクズ)、ビーフン(米)、河漏麺(エンバク他)など、アジアには広く押し出し麺が分布している。そういえば、スパゲッティーも押し出し麺だった。
 日本では糸蒟蒻が押し出し製法で作られる。また、トコロテンも押し出す(突き出す)が、どちらかというと押し出すことにより麺状に「切っている」ので押し出し製法ではない....というか、一般に主食として食べる物を麺とするので、これらは麺と言えない(糸蒟蒻やトコロテンを主食にするのはダイエット中の人ぐらい)。
注3 作り方: 本文には「聞き書 長崎の食事(農文協)」による古くからの製法を記した。現在、お店で食べることのできる六兵衛の製法とは異なるかもしれない。
注4 江戸時代後期: 「聞き書 長崎の食事(農文協)」によると六兵衛どんが六兵衛を考案したのは寛政の「島原大変」のずっと後、同じ江戸時代後期でも「天保の大飢饉」(天保4(1833)年)に際してであるとしている。どちらが正しいのか?? 
注5 雲仙普賢岳が噴火し: 「島原大変」と呼ばれる。「島原大変」の他、雲仙・普賢岳の噴火については島原市のHPが詳しい。
注6 深江町: 島原市の隣町、そのHPには郷土料理六兵衛やイメージキャラクター六兵衛どんの情報も。


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